毎年8月6日の広島は「祈りの日」である。
身内に原爆犠牲者がいないのをいい事に、8時15分は何時もテレビの前で黙祷を捧げ、市長の平和宣言を聞いたり、首相の挨拶を見たりして済ませてきた。
今年はある思いがあって、夕方から平和公園の慰霊碑に参拝した。 63年前、この地で悲惨な現実があった事も年々薄れていくようだが、たまたま同級生が浜井信三元市長の娘と言う縁から≪よみがえる廃墟 広島の記録 「原爆市長」≫を読む機会に恵まれた。
被爆したその時から市の中枢と市民が如何にして立ち直っていったかの記録が淡々と書かれていて、感銘を受けた事がきっかけとなった。 当日の参拝は初めてだったので、日が落ちてからもこんなに大勢の人出があるとは思いもよらなかった。 「灯籠流し」がきれいだと聞いていたが、生憎、干潮だったため一箇所に集まったまま、動く気配がなくて少々残念だった。
又この日、深夜のTVで「原爆の子」をみた。 ずっと以前映画館で見たことはあったが殆ど忘れかけていたので、乙羽信子、宇野重吉、滝沢修、等の今は亡き名優の若かりし頃に出会えて懐かしながら、平和祈念の長い1日を終が終わった。
身内に原爆犠牲者がいないのをいい事に、8時15分は何時もテレビの前で黙祷を捧げ、市長の平和宣言を聞いたり、首相の挨拶を見たりして済ませてきた。
今年はある思いがあって、夕方から平和公園の慰霊碑に参拝した。 63年前、この地で悲惨な現実があった事も年々薄れていくようだが、たまたま同級生が浜井信三元市長の娘と言う縁から≪よみがえる廃墟 広島の記録 「原爆市長」≫を読む機会に恵まれた。
被爆したその時から市の中枢と市民が如何にして立ち直っていったかの記録が淡々と書かれていて、感銘を受けた事がきっかけとなった。 当日の参拝は初めてだったので、日が落ちてからもこんなに大勢の人出があるとは思いもよらなかった。 「灯籠流し」がきれいだと聞いていたが、生憎、干潮だったため一箇所に集まったまま、動く気配がなくて少々残念だった。
又この日、深夜のTVで「原爆の子」をみた。 ずっと以前映画館で見たことはあったが殆ど忘れかけていたので、乙羽信子、宇野重吉、滝沢修、等の今は亡き名優の若かりし頃に出会えて懐かしながら、平和祈念の長い1日を終が終わった。
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by 3181939
| 2008-08-09 00:57